人生、折り返し地点くらいの年齢になりました。何歳まで生きられるかはわからないけど、肉体的には節々に老いを感じる瞬間がある。
この段階に至って最近感じることは、「食う、寝る、遊ぶ」というのは非常に良く出来た言葉だなということ。必要なこと、やりたいこと突き詰めていくと整理していくとこの3つに集約されてくる。
仕事は別にやらなくていいこと。やりがいを求めての作業と、食うを実現するためのお金を入手することが一体化しているのが仕事。このやりがいの部分は「遊ぶ」の部分と同質だと思う。FIREした人が、しばらくすると仕事をし始めちゃうのは、結局、ビジネスという遊びを楽しんでいるからなんだろうと思う。
そう考えると仕事が楽しいという状況は実に幸せなことだ。給与水準の高低はあるのだけど、遊びながらついでに金がもらえる。こう考えた瞬間に見え方は大きく変わる。我慢してストレス発散に散財するくらいなら、そこそこの収入をもらいながら楽しんで仕事をやるというのは、ある種のFIREと見立てることも出来そうだ。
そんな合理的な見方をする他方、人の幸福感はここに凝縮されていると見ることも出来る。
食べることによる幸福感。
寝ることによる幸福感。
子供の頃は、食べることは腹を満たす手段くらいの認識だった。ただ、その腹を満たすというのは、幸福感を得るための手段の一つだったのだなと大人になってから気づいた。
仕事が忙しい時、僕は体重が増える。体重変化のグラフは、仕事の多忙グラフと一致する。皆さんの場合はどうなんだろうか?
仕事が忙しい時期には「倒れてはいかん!」と思ってしっかりご飯を食べていた。しかし、実際にはご飯を食べることで脳内に放出されるドーパミンを求めていたのだと思う。自己愛として、自分を労るために美味しいご飯を食べる。心理学を学ぶ中で、自分自身の中でこんな構図があることに気がついた。
寝ることも似たようなものだ。食べることとは違う形での幸福感。それが寝ることだと思う。
肉体的な疲れをとるとか、脳に記憶を定着させるためとか、色んなメリットもある。それはそれとしつつ、やはり好きなだけ寝るというのも非常に贅沢なことだと感じることも多い。
メンタル疾患の場合、とりあえず寝かせとけばOKみたいな側面もある。寝ることで解決することは案外多い。解決しないのはやってない宿題くらいだろうか(笑)
何か上手くいってないな?と思うときには、この「食う、寝る、遊ぶ」のバランスを見直すといいのかもしれない。
お金というのは、このバランスを取るために必要な仲介手段に過ぎない。使わなくては満たせないのか、使わなくても満たせてしまうのか。
ちなみにお金を貯めるという遊びも存在する。溜まっている数字を見てニヤニヤするのもまた一興である(笑)